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博多桃太郎の歴史

こんにちは、博多桃太郎Staffの西村(にしむら)です^^ 昨日から例年より遅い黄砂がまい始め、花粉症状態になりながらblogを書いてます。
 
『博多桃太郎の歴史』を学びたいと思い、2009年3月15日発行の『博多桃太郎のあゆみ』、『古き佳き時代を再現した 銀天夜市 その誕生と想い出』小冊子を読み返しました。
 
大正八年に西村徳久治が有限会社西村商店、屋号:桃太郎を創業したことが、博多桃太郎の誕生に繋がります。
最初はゴム鞠や羽子板などを販売していたとのこと。
この冊子の中で初めて知ったのですが、戦争中は実用品の製造のみで、玩具商品を作ることはなかったようです。
戦後は鍋、釜、提灯を、二代目社長である西村徳蔵がリアカーを引いて売り歩き、昭和二三年に各玩具メーカーから玩具製造の再開通知を受け取ってから、玩具業に戻っていったそう。
佐賀の地では一番はやく店を立ち上げたこともあり、とても人気だったようです。
 
玩具がないということは、当時の子供さんたちはどう遊んでいたのでしょうか? 古い、家に残っていた玩具だろうか。それとも想像力だろうか?
そんな中で紙やブリキでできた玩具たちがお店に並んでいくんですから、それはもうわくわくが止まらなかっただろうなあと思います。
 
 
そして昭和三十八年に博多駅が移転するにあたり、出店オファーを受け、佐賀桃太郎は、「博多桃太郎」として出店。
おおくのお客様に「昔からずっとあるね」と、いっていただける、商業当時からある店となってます^^
 
 
この博多桃太郎出店前の話しを聴いたことがあります。
徳蔵の妻である信子は、毎朝お経をよみ、神社仏閣巡りをかかさない人で、炭鉱が栄えてた時代に、そこに中国から引きあげてきた占い師が評判で、別段なんの悩みもない侭みてもらった。
するとその占い師が「東に進出するといい」という。信子は東京の地にでるという意味だと捉え、首を横にふって「ここから動く気はありませんから」と応える。そうすると「いえ奥さん。動きます。博多だって、佐賀からみれば東ですよ」と、自前の大きな数珠玉を数えながらいった。
 
そのころ徳蔵はテナント担当者から「みにきてくれ」といわれるままに、旧博多駅から新博多駅を三回見に行ったが、剥き出しの鉄筋が並ぶだけで、店舗のイメージも商品陳列の想像も全くできなかったらしい。それでも夫婦ふたりは東にでるといい気がする! という直感で出店を決めた。
オープン初日、名店街の半分はテナントが入っておらず、自動車を展示して空いたスペースを埋めていたというのですから、今ではまったく想像できない景色ですね。
その後博多桃太郎は西村家の要になるので、この決断と物語は大切で、信子は今でもときおり、この占い師のお爺さんに感謝して、天にむかって手を合わせ、「ありがとうございました」と呟いています。
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